メンターに気に入られるにはどうしたら良いのか?

メンター、この言葉に馴染みのない人は多いでしょう。

むしろ知らない人が多数だと思います。

では、教祖、カリスマならどうでしょうか。

それなら知っていると言われる方は多いでしょう。

それでは教祖といわれる人やカリスマといわれる人、

この人達は果たして完璧な人なのでしょうか?

 

カルト宗教の事件などがあると、

ことさら信者達の狂信ぶり、教祖の異常性などが取りざたされますが、

教祖とて一人の人間、私達と同じく食べ、寝て、娯楽も楽しみ

時には享楽にふけることもあるでしょう。

ではなぜカリスマ、教祖と言われる人たちが人の心を掴み、

時に狂信的にさせたり集団自殺や犯罪に手を染させたりできるのでしょうか。

 

これは私の考えでありますが、

教祖は徹底的に信者に寄り添うのではないかと思うのです。

ただ高圧的に自らの教えを説いているだけでは狂信者を生むはずもなく。

信者の悩み、苦しみ、痛みにまるで当事者のごとく共感、共鳴するように

耳を傾け、うなずき、寄り添うことにより

絶対的な信頼を得るのではないでしょうか。

 

そして、信者は渇望するのです。

この人に話を聞いてもらいたい、この人に寄り添ってもらいたい、

この人に導いてもらいたいと。

 

田豊さんは動画でこのようにおっっしゃっていました。

『メンターは絶対完ぺきではない。人間的にすばらしく成功している人はごく一部。メンターの悪い面も受け入れないといい面も受け入れることはできない』と。

完璧でなく、ひとりの人間というメンター(教祖)(師匠)を自分の都合の良いように勝手に作り上げ、自分の都合に合わなければ切り捨てるというマインドセットだと一生メンターに愛されず良い情報も入ってこないと言うのです。

自分が信じると決めた教祖(メンター)に自分を委ねる、かつ

委ねた相手に完璧を求めず、一人の不完全な人間として向き合う事こそが

メンターに愛され、良い情報を教えてもらい、成功に導いてもらえる最大の方法であると思うのです。

 

松田さんの言葉には、ひとりひとりの人間としてお互い向き合い。信頼しあい、

そして向上心を持ち、お互いを高め合おうというメッセージが込められていると私は思います。

メンターを信じ、着いていく。しかしメンターの悪い面も受け入れる、

それがゆくゆくは自分の悪い面ダメな面も受け入れ愛されることであると。

 

私達に必要なのは、先に述べたような犯罪者と見まごうような教祖ではなく

人間として不完全であるが、知識と愛嬢を持ち、人を導いて行ける本物の指導者、メンターを見極め、そしてこの人はというメンターを見極めたなら絶対の信頼と寛大な気持ちで受け入れること、メンターから愛されるようになることだと思います。