苦しい思いをして社会のレールに乗り続けることはない、積極的に脱落しようというお話

田豊さんの動画にたびたび上げられる、ひまわりさんのお話には

この社会の中で追い詰められ、さまざまなストレスをかかえる人を

救う言葉がたくさん出てきます。

 

今回は、『脱落は悪いことではない、むしろ良いことである』というお話でした。

脱落という言葉にはどんなイメージがあるでしょうか?

子供のころ、学校の成績が悪い子供や、体が弱くて学校を休みがちな子供、

コミュニケーションがうまくできない子供などが

一定数クラスにいたと思います。

そんな子供たちはたいてい教師から叱責されたり、同級生からいじめられたりしていたでしょう。

 

子供の頃の記憶は潜在意識に擦り込まれ、

その人が死ぬまで影響を及ぼします。

虐待やいじめの記憶は一生消えません。

 

私は小学生の頃、学年で一番小柄で、運動神経が良くなく、

人と会話することも苦手ないわゆるネクラな子供でした。

なぜかいつもあからさまな仲間外れや無視にあい、

いつも友達はいませんでした。教室を移動する時もひとりぼっち。

班決めの時も誰からもグループに呼んでもらえません。

 

当時一クラス40人学級だったのですが、

6人くらいで1つの班を結成して、班ごとに行動したりするのですが

当時の担任は仲間外れに加担するかのごとく、

班の決め方を、選出された班長が自分のの班に入れたい人を

一人ずつ指名して取っていくというシステムを作ったのです。

まずクラス全員を立たせます。

前に出た班長が順番に自分の好きな人を指名します。

 

指名された人は座ります。

だんだん立っている人は減ってきます。

残ってくるのは友達の少ない子や勉強やスポーツができない子

など、社会でいう半端ものです。

その中で私は一番嫌われていて必ず最後の一人でした。

そのみじめさ、くやしさ、悲しさ、絶望感はは想像を絶するものがあります。

それでも私は悲しんでいる姿を見られたくなくて、平静を装うのが精いっぱいでした。

 

担任はその様子をにやにやしながら見ているのです。

あの時の表情は決して忘れません。

あきらかに、担任は楽しんでいたのです。

一人だけ最後まで残っているきゃしゃで小柄な少女が

さらし者になっている様子を。

 

 

休み時間には一人でノートに絵を描く日々。

好きで描いているのではなく、一人でぽつんとしている自分が恥ずかしかったから、

絵を描くのが好きだから、校庭で遊ばずに教室に残る言い訳を

作っていたのかもしれません。

遠足や運動会、林間学校、修学旅行、

子供が楽しみにするであろう行事は私にとっては地獄でした。

 

そんな灰色の小学校生活だったのに私は学校を休んだり、さぼったりできませんでした。親にいじめにあっていることも言えませんでした。

仲間外れにされ、無視される苦しい日々を告白することができなかったのは、

自分の子供がいじめにあっていることを知ったらきっと親は悲しむだろうと

思ったのもそうですが、学校という社会からつまはじきにされている自分を

さらすことはプライドが許さなかったのだと思います。

 

毎晩、明日をどう生きよう、

明日の休み時間をどうやって過ごそうと苦しみ、

明日の心配をしないで眠りたいと枕を濡らす小学生がいることを

大人は想像もしないでしょう。

学校に行きたくてもどうしても学校に行くことができない不登校

ひきこもり、それができたら楽になれるのにできない子供もいるのです。

 

 

無色。ひきこもり=ニート

社会から脱落してしまった人たち

一般の社会人からはばかにされる。

何故ばかにされるのか。

それは子供のころの記憶によるのです。

勉強ができない子供。コミュニケーションがうまくできない子供

学校を休みがちな体の弱い子供、登校拒否の子供をばかにする

仲間外れにする

なぜならそういう教育システムだからであると

ひまわりさんはおっしゃています。

 

レールを外れたらいじめられると擦り込まれる大人はあてにならない

自分を守るためには集団から脱落してはいけないと

潜在意識に擦り込みがかかる

いじめにあっていた人は特に、あの惨めさを味わいたくないと

必死に社会のレールに乗ろうとするのです。

 

ですが、その先にあるのは無理をしている自分に耐え切れず

ストレスを抱えた挙句に自殺してしまったり

うつ病になってしまうことです。

私は今でも子供の頃を思い出すと涙が出ます。

もしも学校など行かなくて良いと親が言ってくれたなら。

学校社会になじめずとも幸せな子供時代を送れたのではないだろうかと。

 

中学に上がると学区域の違いなどもあり、いじめっ子たちもいなくなり、

友達もできて徐々に性格も明るくなりました。

身長も一気に伸び、誰からも意地悪や無視をされなくなりました。

私の方が集団に溶け込んでいったのでしょう。

今では人間関係に嫌気がさした職場からはさっさと脱落して、

新しい居場所を見つけることも平気になりました。

嫌々働いても幸せになれないのです。

 

人と違ったことをするのは悪いことと擦り込みがかかる

しかし社会から脱落することは悪いことではない、むしろ良いことである

 

『仏教でいうと脱落は身心脱落といって悟りの境地である

物質主義、競争主義の社会から正しく脱落して

生き方は人それぞれ

苦しいだけの人生ならばそれをすべて手放して脱落する人生もある

人生を楽しむ為に生きている

死ぬ勇気があるなら積極的に脱落しなさい

脱落は悪いことではない、良いことである。

一度死んだと思えばあなたはなんでもできる

苦しんでいる人の役に立つ生き方をしなさい』

 

ひまわりさんのこの言葉は私に勇気を与えてくれました。

はみ出してもいいじゃないか、脱落してもその先にまだ

人生は続いていくのです。